◆史跡めぐりクラブ

 


2023年度史跡めぐり活動

日光御成道・鳩ヶ谷宿周辺散策

 

令和6227日(火)参加者11名強風の中ガイドなしで大宮駅より京浜東北線、武蔵野線埼玉高速鉄道を乗り継ぎ鳩ケ谷へ日光御成道は、徳川将軍が日光社参するために整備された街道で、鳩ヶ谷宿は、中町の本陣を中心に商業・文化の中心地として栄えた宿場町ですが今は、その面影は感じられない。

                             

 鳩ケ谷駅東口より昭和橋を経て、一里塚跡より からくり時計のある 御成坂公園には、大名行列が描かれた3枚のタイル絵と、大名行列をイメージしたからくり時計が、ありましたが残念ながら作動時間にあわなかつたため見る事ができませんでした。

 

 鳩ケ谷氷川神社は、旧鳩ヶ谷宿の中心地で日光御成道より西に入ったところにあり、ヤマタノオロチを退治した須佐之男命(スサノオノミコト)を祀っている鳩ケ谷の鎮守です。敷地内の建物の中には、三基の立派な御神輿がありました。

 

 郷土資料舘は、街道沿いから少し入ったところにあり、川口市と旧鳩ヶ谷市の郷土品や郷土資料が展示されていて、中でも鳩ケ谷宿で生まれた小谷三志(こたにさんし)は、江戸時代の後期の富士講の指導者で、その一派「不二道」創設者でもある。当時女人禁制とされていた富士山登頂を実現させたことでも知られている。

 

 川口は、鋳物工場で古くから栄えた街で展示品の中には、ベイゴマや鐘などの展示もありベイゴマ回しが体験できるコーナ-もありました。

 市神社は、街道沿いのバス停脇の小さな祠で、江戸時代中頃より開かれた「三八市」

の祭社を祀る祠です。

 

 地蔵院には、「小谷三志の墓」があり境内には「小谷三志遺品保存館」もあり、裏庭にある樹齢約600年の巨大なタブノキは、市の天然記念物に指定されています。

 

 

  地蔵院より新井宿駅へ 帰りは、武蔵野線が強風の為遅れていたため川口駅よりバスで岩槻へ

 

 

 


40回史跡巡りクラブ

 

浅間山鬼押出し・鎌原観音堂・八ッ場ダムめぐりバス旅行報告

 

 112日(木)晴天夏日の中、史跡クラブ日帰りバス旅行を16名参加で4年半ぶりに行いました。当日午前7:00岩槻駅前より出発、高速道路を使用し群馬・長野県方面に向かいました。順調に軽井沢に着き、先ずは白糸の滝で紅葉の中癒しの空間で自然のイオンを、

次の鬼押出しは1783年(天明3年)浅間山の噴火で旧暦7月8日の大噴火で大量の火砕流が山腹を猛スピードで下り土石は溶岩流により削り取られ土石はなだれとして流れ下り鎌原村を直撃した、この噴火の際最後に流出したのが鬼押溶岩流であるとの事です。由来は山に鬼が住んでいて鬼の行状が噴火に係わっているとみられ鬼押の奇異な現象を見て里人によって名付けられたものであろうと・・自然現象の恐ろしさと溶岩の芸術を・・。

山麓にある鎌原観音堂は日本のポンペイ遺跡とも呼ばれていて、高台にあった堂に階段を上る途中で被災した人の跡が残っていたことが後に発見された所です。そして八ッ場ダムの見学です、完成まで60年の経過歴史等を説明してもらい、エレベーターでダム下に降りて吐出口部・ダム本体を見上げるとコンクリートの壁に圧倒されました。

紅葉も盛りの所もあり、買い物も旅行割の恩恵もあり、バスの中では積もり積もった話・雑談で盛り上がりました。時には近県でのバス旅行も良いものと思いました。又、今回特別参加下さった田中・荻原・新田さんにお礼申し上げます。皆無事に帰宅できお疲れ様でした。

 

 

                                         前田記

 

 

 


第39回史跡めぐり「江戸東京たてもの園」散策                                                                 令和5年104

                                                                                                    参加者 12名

 

午前8時にJR大宮駅豆の木前に集合し京浜東北線南浦和並びに武蔵野線西国分寺経由中央線武蔵小金井駅に約1時間で到着、そこから路線バスで5分小金井公園西口バス停下車。

今回ガイドをお願いした織壁さんも同じバスに乗車されていたので「江戸東京たてもの園」まで5分間小金井公園のガイドを聞きながら歩く。

「江戸東京たてもの園」は、現地保存が不可能な歴史的建造物を移築し復元、保存、管理展示している野外博物館で都立小金井公園の一角にある。

敷地面積は約7ha、園内には30棟の復元建造物が建ち並んでいる。

正面入り口のビジターセンター旧光華殿は、昭和15年の紀元二千六百年記念式殿で翌年皇居前から移築されました。戦後、空襲で被災した学習院中等科が教室として使用し、当時の

皇太子(現上皇)の御仮寓がその西側(本殿に向かって左側)に建てられていた。

 

受付で入園手続きを行い10時に園内に入場する。

「前川国男邸」

 近代建築の旗手であった前川氏が設計し暮らした家は、日本と西洋の建築思想が融合した建物であった。吹き抜けの居間は、天井も高く窓も広く開放感があるゆったりとした空間であった。

「三井八郎右衛門邸」

 三井家11代当主三井八郎右衛門高公の代(1952年)に本園に移築された。

 当時の財閥当主の贅を尽くした家具調度品、壁、天井などは往時をしのばせるものであった。また庭園も立派なものであった。

「高橋是清邸」

 二・二六事件により暗殺の現場となった部屋・書斎は歴史を感じた。

 庭を眺める大きな窓には、波打つ昔のガラスがそのまま使用され映画のセットにそのまま利用できる建物であった。

「銭湯 子宝湯」

 東京の下町内湯が無い人たちの憩いの場として利用された大きな銭湯でした。

 当時としては大きな銭湯で玄関上部の唐破風と軒下の彫刻、脱衣所の折上げ天上など手の込んだ格式の高い造作が施されて現在でも使用できるのではと思った。

 

日本の歴史建造物がこのような形で保存・管理されていることについては大いに共感する。

未来の建築家を目指す若者もここを訪れ現物を見て学ぶことを実践しているという。

今でもスクラップ&ビルドで貴重な歴史的資産ものがなくなっていることを危惧するものである。

 

1時間30分活動ですべてを回ることができなかったが私たちの昔の生活や映画やテレビで見たゆとりのある生活を感じることができたのではないかと思います。

 

 お昼は、園内のたべもの処「蔵」の武蔵野台地の本格的な手打ちうどんで締めました。

 

《今回のボランティアガイド》

   小金井史談会 会長 織壁 哲夫氏

 

                                                      作馬(記)

 

 

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江戸東京たてもの園‗写真.pdf
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第38回史跡めぐり中山道本庄宿の史跡散策

                                    

 

 512日(金)、天気に恵まれ12名で本庄の町を散策しました。

 ボランティアガイドさん2名と現職の市会議員の山田さんに案内して頂きました。

 山田さんは本庄市の町おこしに尽力されており、通常のガイドブックに紹介されていない所も見せて頂き感激しました。

 本庄は江戸時代、中山道の宿場町の中で一番の人口を有し、利根川の水運とともに交通の要でした。明治・大正時代に入ると、富岡製糸場長の尾高淳忠と本庄の諸井家との関係から養蚕の街として繁栄し、当時作られたレンガ倉庫や町屋などを現在も見ることができる。

 

 本庄駅北口からスタート。最初は柴崎家住宅。妻側・窓・窓回りのレンガ積みが素晴らしい。かって賑わった三交通りや迷路のような路地を歩くと、変色した飲み屋の看板が見られ、昔の賑わいを肌で感じることができました。

 町中にはたくさんの蔵があり、宮本蔵の街には市民グループにより保存された蔵を利用したコミュニティーカフェがありました。旧本庄商業銀行煉瓦造り倉庫を見学、当時繭倉庫であった2階はコンサートなどにも活用されているようです。その後、旧本庄警察署・田村本陣の門・愛宕神社・旧本庄郵便局を訪れました。諸井住宅では屋敷の奥まで見ることができました。途中でガイドさんのお勧めの和菓子店「せきね」で沢山のお土産を買いました。

 山田さん達の紹介で、創業463年の戸谷八商店十五代目社長のお話を伺い、沢山のお宝を見せて頂きました。母屋に掛けられていた渋沢栄一の書や11代目戸谷八郎左衛門と渋沢栄一が一緒に写っている写真から両家の親しい関係が推測できました。

 昼食はガイドさんのお勧めの「電気館カレー」でローストビーフ定食を食べました。

ここは県内最古の映画館跡地に開店したカレーハウスですが、洋食も色々ありました。

 

 昼食後は希望者6名で、本庄早稲田ミュージアムを見学しました。ここには市内の各所の古墳から出土した埴輪が展示されています。意外に大きくてびっくりしました。

 

 ボランティアガイドのご厚意で、多くの史跡を見せて頂き、よく歩きました。

 

お疲れさまでした。

 

 

 

 



・2022年度 史跡めぐり活動の記録


37回史跡めぐり 河津桜と城ケ島

                                                 令和5年2月28日

 

今回の史跡巡りは、2年前に企画し実行直前に緊急事態宣言(新型コロナ)により中止になった、河津桜と城ケ島にこの時期に行って来ました。

大宮駅からJR上野東京ライン横浜駅で乗り換えて京急・三浦海岸駅で下車すると駅前広場には、数本の河津桜が満開のピンク色で明るく鮮やかに出迎えてくれた様で見事に咲き誇っていました。

ひとあし早い桜(河津桜)の桜並木と菜の花の黄色が線路沿いに長く続きます。グループで花見散策を約40分位観賞して駅に戻ると、これから向かう花見客で大勢の人で混み合っていた、この時期は三浦海岸桜まつりの開催中でも有り、またお天気も良く観光客が多かった様です。

城ケ島、白秋碑前バス停で下車して、これから長い道のりが待ち受けていました。(今回、案内ガイド無し)向かったのは、自然の芸術品の「馬の背洞門」です、波や風雨の侵食によって岩にメガネ状の穴が開いた大きな岩です。途中に高台の眺望が出来る場所で一息つき、海に突き出した形に断崖を見ました、とても雄大で素晴らしくきれいに見えたのが「ウミウ展望台」です、ウミウも空に飛んでいるのを見ました。

更に進み急な下り坂で海岸まで続きます。足場は悪く岩が出ていて所々に手すりが付いていても怖いてぐらいで、さらに強風が吹いていたので、特に女性陣には大変お疲れ様でした。やっと馬の背洞門に着き記念写真を取り、周りの景色を見ると海の上に浮いている様な富士山がきれいに見えました。

その右端方角の遠い先に白い建物が有りこれから向かう城ケ島渡し船場に歩き出しました、海岸の足元は砂と岩で歩きづらい道を歩き無事に城ケ島の渡し場に着き、さらに船に乗り三崎港に着いた、目の前の「うらりマルシェさかな館」に入りお土産を買ったり見物したりしてから、食事をする店を探したが、どこも混んでいたので三崎館本店で順番待ちをしまた、この間に近くに在る史跡でもある海南神社に数名で散策行きました。

相州三浦総鎮守 海南神社 創建982年(天元5年)食の神様をお祀りしている、包丁を供養するお祭りも行われているのが特徴だそうです。平安時代から鎌倉時代にかけて三浦半島で活躍した三浦一族や源頼朝とのゆかりが深い神社と言われています。境内には節句時期なので、お雛様を所々に飾ってありなごみました。

三崎港と言えばまぐろです、昼食事は皆さん同じ「まぐろきっぷ膳」美味しく頂きました。そして帰路に着きました。

見頃の河津桜並木を見て、城ケ島の奇岩・馬の背洞門、海からの富士山、渡し船で三浦港から海南神社をお参りして、おいしいマグロを食べた、内容的にはいろいろの要素が詰まっていて、とても良かったと思いますが、史跡の場が少ない感じでした。

 

今回の運動量的には歩数は12,000歩位(約8km)でしたが登り下り有り足場も悪く風の中は、年配者には少しハードだったと思います。次回の行き先地には、考慮のほどよろしくお願いいたします。

 

 

 

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第37回史跡巡り河津桜と城ケ島 感想記.pdf
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令和51月吉日

史跡クラブ会員各位

36回史跡めぐりのご案内

1グループ

新井・松前・植木・桐ケ谷

半道・藤波・今井    

 

満開の河津桜と城ケ島の旅

 

三浦海岸駅から線路沿いに早咲きで知られる河津桜が約1,0001㎞にわたって植えられています。すこし早い桜を鑑賞してから、城ケ島へ。自然が残る見晴らしの良い城ケ島を歩いて明治遺産の安房埼灯台・城ケ島灯台めぐり、相州三浦総鎮守海南神社を参拝します。昼食は三崎の「まぐろ」です。

今回の史跡めぐりは春を先取りした企画としました。ご多忙とは存じますが、皆様のご参加をお待ちしております。

 

1.      日時:2月28日(火)2/24時点の週間天気予報を考慮し悪天候が予想される場合は順延とします。予備日 3月2日(木)

 

2.      集合場所JR大宮駅改札前 豆の木

 

3.      集合時間:午前7

 

4.      費用5,540円(大宮からの交通費935*2+昼食代込みのフリー切符みさきまぐろきっぷ3,670円)

以上

 

 

切り取り線

 

36回史跡めぐり 満開の河津桜と城ケ島の旅          令和41月吉日

 

参加      不参加

 

氏名         

 

 

 

 

 

          

行程

l  大宮 713発 JR湘南新宿ライン( 大船行 4番線)🚃 横浜 820着(みさきまぐろきっぷ 3,670円 各自購入)

l  京急横浜 844発 🚃京急久里浜線 1番線🚃 三浦海岸 938着(河津桜花見散策 40分) 

 

l  三浦海岸🚃 10:28発 三崎口 10:30

 

l  三崎口 1048🚌京急バス 城ケ島行き2番乗場 白秋碑前 1114

   北原白秋詩碑・城ヶ島公園・安房埼灯台・水っ垂れ・ウミウ展望台

   馬の背洞門・城ケ崎灯台散策

 

l  城ケ島渡船乗場 1215🚢三崎港 1230着 海南神社

みさきまぐろ切符で各自昼食

l  三崎港バス停 1443発 🚌三崎口

 

l  三崎口 1537発 2番線 横浜 1630着 1642発 7番線 上野東京ライン

 

l  大宮 1751

 

 

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三浦半島 案内状.pdf
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36回史跡めぐり 中山道・桶川宿散策

            令和4129

 

コロナ禍、第8波の中ですので、参加者は半分以下に成りました、晴天に恵まれて寒くも無く街中をのんびりと2時間で、中山道の一部周辺を2名ボランティアガイドさん案内で散策しました。

中山道 江戸日本橋から京都三条大橋まで六十九の宿場がありますが、昔の旅人は、そこそこの荷物を抱えて江戸・日本橋から出立して1日歩き通して日暮れ時を迎える6番目の宿場が桶川宿に求めたようです、

中山道沿いの歴史的建造物店舗などは国、県、市の指定文化財により補助・保守されて、当時の姿をそのままとどめえた、建屋が幾つもの残っている、その中でも当時の商家の島村老茶舗には、従来の家業であった紅花問屋で財を成し建屋などに、当時の建築技術と貴重な材料が多く使用した。

島村家住宅土蔵は、三階建ての土蔵はとてもめずらしい造りで、また、内壁などに白でなく黒漆喰を使っている、屋根の上に両方向に大き目な飾り物なのか、または魔よけなのか、縁起物なのか、八本の鉄製らしき物が、上向きに付いている、ガイドさんも分からないそうでした。

次に向かったのは、桶川紅花商人寄進の石灯籠がある、稲荷神社(桶川市指定文化財)での説明を受けてから、境内に大盤石の名の付いた祠の下のおおきな石が祭られていました。力石(磐持石/晩持石)で、力試しに用いられる大きな石、江戸時代には力比べが流行ったようです。ここの石は日本一重たい(610㎏)を持ち上げた人物、立会人のなまえが石に彫り込まれていました。三ノ宮卯之助で武蔵國岩槻領三野宮村出身です。力持ちの興行で関東から甲信越、関西までに及ぶようになったそうです。

 

桶川駅東口側は、駅前開発が遅れた関係で昔の建屋が多く残った為、駅周辺の道は狭いですが、中山道は平成30年拡幅工事で約5m奥に現在の位置へ曳家されたとの事。

 

 

 


第35回 東京国分寺界隈史跡めぐり

                                                   令和4年10月4日

 

今回は西国分寺方面史跡めぐりが実施されました。当日は風が強かったものの、快晴に恵まれ、9名全員事故も無く元気に歴史ある佇まいに触れて来ました。

 西国分寺駅で下車、ガイドさん2名と合流、案内用のイヤホンを渡され(国内では珍しい?)早速耳に掛け、最初の史跡、東山道武蔵路跡は武蔵の国が東山道に属していた時代に、都から信濃国(長野県)や上野国(群馬県)を経由して東へ走る東山道本道から分岐し、武蔵国へ南下する為の支路です。

現在は側溝跡や道路幅をアスファルト上に平面表記しているので、その広大さに当時の姿が実感できました。

 国分寺薬師堂の裏には、四国八十八ヶ所巡り石仏群があって、札所の番号やご詠歌などが刻まれているようです。

楼門も大きくて立派で2階建ての建築様式に驚きました。国分寺の本堂の屋根の軒下に掲げられていた桐の御紋の金色が印象的でした。おたかの道は湧水群の清流に沿って散策道の小路が敷かれて、素敵な風情を満喫してきました。

 

 改めて、武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性は認められていたようです。今回の史跡巡りで知識と教養を高める事が出来たと大変満足の一日でした。

 

 

 

 

 

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第35回史跡めぐり‗東京国分寺界隈史跡めぐり案内書.pdf
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第35回史跡めぐり‗東京国分寺界隈史跡めぐりコース.pdf
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第34回史跡めぐり

古都鎌倉五山とアジサイ寺の明月院を巡る

令和4年6月7日(火) 参加者12名

 

 北鎌倉駅10時頃ボランティアガイドさんと合流する。コロナウイルス感染者数の減少やアジサイの開花時期で鎌倉は非常に混んでおり、予定の時間では見学できないので、浄智寺、明月院、建長寺、鎌倉歴史文化交流館の見学を中止することになった。

 駅より徒歩一分の場所にある、鎌倉五山第二の北条時宗が創建した「円覚寺」に向かう。総門から石段を上がると堂々とした山門が見えた。山門をくぐり仏殿に移動して内部の天井画や巨大な御本尊を見学お参りする。妙香池の奥にある虎頭岩を見ながら移動。美しい建物で国宝になっている舎利殿は、一般公開されてないため遠くから見学する。国宝の大鐘と弁天堂は丘の上にあり移動が大変なため省略する。境内は広く良く整備されており気持ちよく見学出来た。

 以前は駆け込み寺とも、縁切り寺とも呼ばれ女性を救済するための尼寺であった「東慶寺」に移動する。小さな茅葺の山門をくぐると、色々な花木が植えられておりアジサイ、花菖蒲、イワタバコ、岩がらみが咲いておりきれいであった。境内の石畳を通り苔むしたお墓を見学お参りする。

 山を掘削して人馬の通行及び、防御の役割を果たした、亀も引き返すほどの急坂の道「亀ヶ谷坂切通し」を息切れしながら北鎌倉から鎌倉駅方面に歩いた。

北条政子が創建した、鎌倉五山第三位「寿福寺」に行く。山門から中門まで、高い木々に囲まれ真っ直ぐに伸びた石畳の参道が続いており美しかった。境内は一般公開されてないので、中門前から脇の小径を登り裏山の墓地に向かう。外務大臣陸奥宗光、俳人高浜虚子、作家大佛次郎などの墓があり、墓地の山側には政子とその子源実朝の石窟(やぐら)が掘られており供養の五輪塔を見学しお参りする。

 鶴岡八幡宮の三の鳥居前で、予定の時間になりボランテアガイドさんの説明は終了した。最後に全員で「鶴岡八幡宮」に参拝する

その後13時頃一時解散して、昼食、散策、お土産など用事後、鎌倉駅発15時07分の電車で帰路に就いた。

 

 前日に、梅雨入りの発表があったが雨も降らず楽しく、何処のお寺に行ってもアジサイが咲いており良かったです。鎌倉の街やお寺に高低差があり、コロナウイルスで自粛生活もあり疲れました。

 

 

 


・2020年度 史跡めぐり活動の記録



高麗神社周辺の散策

                          参加者:10名

 

 今から、約1300年前に武蔵国高麗郡(716年の設置)未開地に渡来人(朝鮮半島・高句麗からの亡命者高麗若光らが開拓した安住地に、高麗神社が創建され祀り始まった由来する神社周辺の散策をしました。

 高麗川駅でボランティアガイドの3名の方の、紹介がありスタートしました。

 植物、草木の詳しいガイドさんがおりましたので歩道の草花や神社境内の樹木についても色々と説明して頂きました。変わった樹木が高麗神社の二の鳥居左側にミズメ(別名:ヨクソミネバリ)樹木の葉がサロンパス(サルチル酸メチル)の匂いが印象に残りました。また、韓国風の入場門がコンクリート製で「天下大将軍・地下女将軍」と記載されたトウテンポールの様な型で魔よけの門は目立ちました。

 高麗山・聖天院は、高麗王若光の菩提寺で大きなお寺で庭園は綺麗に整備されていた、ここで初めて白い曼珠沙華もある事を知りました。

 和食処で昼食事を済ましてから高麗郷古民家(旧新井家)で、現地の案内人にガイドをして頂きました。巾着田バス停から帰路に向かいました。

 

 今回の散策コースは、春の季節にも綺麗な風景が見られると思います。

 

 

 

 


●2019年度 史跡めぐり活動の記録

31回史跡めぐり“草加宿”

                         令和元年1212

                           参加者 16

 

絶好のお天気のなか930分、駅でとガイドさんと待ち合わせ。

草加宿は慶長11年大川図書という人物が村民と共に茅野を開き沼を埋め立て新道を開いたと言われています。藤城家は江戸時代の宿場町の面影を伝える歴史的景観が認められ、国の登録有形文化財に登録されました。歴史民俗資料館は草加小学校西校舎を改修したもので、古文書や歴史資料等が展示されているそうですが、外観だけの見学です。

次は東福寺へ、東福寺は慶長11年大川図書が創建し、僧賢宥の開山と伝えられている。本堂、山門、鐘楼、外陣欄間は市指定文化財で彫刻欄間は素晴らしかったです。

お待ちかねの志免屋さんの「せんべい焼き」体験です。自分で焼いて、焼きたてを食べられる、皆さん真剣な表情で焼いていました。

旧日光街道を、神明宮、おせん公園、河合曾良像を見て県道を横切り六丁目橋へ来ました。綾瀬川畔に作られた札場河岸公園で右手に少し歩くと、煉瓦造りの水門橋「甚左衛門堰」を見ること出来る。望楼まで戻ると松尾芭蕉像が立っていました。また正岡子規・高浜虚子の句碑もあり連れ立って訪れていたそうです。

「日本の道百選」に選ばれた「日光街道草加松原」の松並木道、石畳が敷かれ市民の憩いの場となっています。かつては全国の一級河川水質ランキングのワースト一位にランキングされていたが、今は水質の改善は進んでいるそうです。また、太鼓橋型歩道橋として「矢立橋」と「百代橋」もありますが、川に掛かっているわけではありません。

 最後に「天ぷら天杉」で昼食をいただき解散しました。

 

草加は岩槻から近いですが、下車したことがないという方が結構いました。名所も沢山ありますので機会があれば、また、訪れたいと思います。

皆様お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 


第30回史跡めぐり

秩父方面 史跡めぐり

 

令和元年11月8日 参加者16名

 

第2回目のマイクロバスを利用し、16名で岩槻6時50分出発、お天気にも恵まれ絶好の秋日和でした。車窓から見た木々も、所々紅葉しており、自然の美しさも楽しめました。岩槻ICから東北道・圏央道・関越道、を経て秩父市に入りました。

最初に、聖神社(銭神様)・和銅開珎モニュメント見学。元明天皇の時代に秩父黒谷で、高純度の自然銅(二ギアカガネ)が発見され、日本最初の流通通貨になる和銅開珎を発行したとの事です。採掘露天掘り跡地までの坂道は、きつかった

秩父神社は、創設おおよそ2100年前秩父の総社として、柞乃(ははその)(もり)鎮まる古社。社殿には、左甚五郎作の「つなぎの龍」「子宝、子育ての虎」などの彫刻が施されています。

秩父まつり会館は、入ると左に巨大な笠鉾、右に屋台が並んでいます。最初に係員さんの説明を聞きました。その後、会場内の照明を落として、音と光の映像で秩父夜祭りを再現して、まるで自分も一緒に祭りに参加している様な大迫力あるスクリーンでした。又、別室では、メガネを着用して四季折々の祭りも3D映像で見る事が出来ました。

ちちぶ銘仙館は、歴史ある織物機が数々展示され、当時がよみがえる様でした。絹織物の「ちちぶ銘仙」は、平織りで裏表無いのが特徴。表が色あせたら裏を使って、仕立て直しができる利点がある、素晴らしい知恵ですよね。

ちちぶ銘仙館から、1時間ほど山道を走り三峰神社へ。駐車場で一旦バスを降り、神社専用バスで移動しました。三峰神社は今から1900年ほど昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)がわが国の平和をお祈りし国産みの神様をお祭りしたのが始まりです(みこと)を導いた山犬(オオカミ)がお使いの神です。拝殿に行き30分ほどお(はら)いをしてもらいました。眺めの良い6F興雲閣で昼食をとりました。

 

次は秩父市にある道の駅に向かいました。皆さん色々買い込んでいましたね。最後にリニューアルした蓮田パーキングも寄って頂き、初めての方もいましたので満足されたと思います。予定通り無事岩槻に18時10分に到着、ご協力ありがとうございました。

 

 

 

 


第29回史跡めぐり゛結城・城下町めぐり

 

              参加者 12名

 

宇都宮線小山駅(栃木県)で乗り換え水戸線の二つ目の結城駅(茨城県)を降りると、公共施設の結城市民情報センターが有り観光案内所・物産センター・図書館等が入った大きな建物の前からボランティアガイドと合流しスタートしました。

 旧市街地に入ると道幅が狭くなって古い町並み、そこで磯田邸(見世蔵)の前に着き、2階建て・寄棟妻入の2階正面に、提灯型のガラス製でピンク色の珍しい物が取り付けて有ります。

 これは明治天皇のご来結時に、提灯代わりに使用した遺品だそうです。明治天皇が明治40年の陸軍特別大演習に当たり、結城町に大本営が設けられ内閣総理大臣以下の政府高官も結城に7日間滞在し執務した内容は、午後に見学した結城蔵美館に当時の展示品が有り、大歓迎ぶりが感じられました。

 次の秋葉味噌醸造では店主が味噌醸造の製造工程について説明をして頂きました。その間に味噌漬物、味噌汁などを試食しました。皆さんに好評ようでお土産として買い求める方が多くいました。ここで予定時間をかなりオーバーしました。

 結城藩は、徳川家康の次男で豊臣秀吉の養子(羽柴秀康)がさらに結城氏の養子(結城秀康)となり初代結城藩となった。

 結城秀康は、城下町を整備し、町人には土地代を免除する特権を与え商工業も栄えた。

特産の結城紬は盛んに江戸と交易され商人は栄多くの財を成したそうです。

 結城の町は、落ち着いた静かな雰囲気の町でした。それは、寺院・神社がかなり多かったからだと思います。

 

 今回のボランティアガイドさんは、ベテランの女性で結城の街をとても詳しく案内して頂きました。

 

 

 


 

 

 

第28回史跡めぐり

“横浜山手公園庭園を歩く”

                     令和元年7月2日 参加者10名

 

横浜市中心部の南に位置する山手地区の公園・庭園並びに歴史を巡って来ました。

横浜は坂が多い町というイメージがあったのですが今回のコースは、地下鉄みなとみらい線の元町・中華街駅からアメリカ山公園までがエレベーターとエスカレーターを乗り継ぎ難なく登ることが出来ました。

 最初に訪れたのは、「外人墓地資料館」です。横浜港開港に携わった人達の業績をパネルや写真で紹介展示されていました。隣の外人墓地には、異国の地で生涯を終え埋葬された人々の墓が現代の横浜港を眺めていました。

 次の「岩崎ミュージアム」は、旧ゲーテ座(歌劇「ハムレット」を初演された劇場)の場所に建てられ現在戦後の服装資料館となっている。スタジオは芸術家の作品展示に開放され今回も人物の彫刻が展示されていた。

 山手234」番地は、元町公園の道を隔てた反対側のあり関東大震災(大正12年)で海外へ逃げた外国人を呼び戻すため、昭和2年に建てられた3LDKのコンパクトな住居である。

 山手資料館は、明治42年に建造された旧中澤兼吉邸「和洋併設住宅」の洋館部分を移築した建物で1階には我が国の漫画の始祖となる「ジャパン・パンチ」や横浜浮世絵、オルガン等、2階には外人墓地に葬られた文化貢献者のパネルなど往時の文化風俗が垣間見られる品々が展示されていた。

 大佛次郎記念館は、横浜ゆかりの作家「大佛次郎」の業績と生涯の様々な資料を紹介している。我々としては、NHK大河ドラマ「赤穂浪士」や「鞍馬天狗」が親しみのある作品である。猫好きの作者の書斎は猫の置物や絵画で飾られていた。

 イギリス館は、英国総領事公邸として昭和12年に建てられた。英国人の体形に合わせた間取りも広く、ゆったりとした居住空間の邸宅であった。

 ローズガーデンにある山手111番館は、地下1階が喫茶室となっていて、そこでコーヒータイムを取った。

 美味しいコーヒーとケーキを賞味した後、港が見える丘から横浜港を眺めながら通り山下公園へ向かった。

 そこからシーバスに乗船し横浜ベイクォターまでの横浜港の船旅を楽しみました。

 横浜と言えば「崎陽軒」です。史跡めぐりの最後は歴史ある「崎陽軒本店」の中華ランチで締めました。

 今回は、雨も心配されたのですが、程良い天気で行程も登り勾配が無くほとんど平坦で

最後に下り階段が数十段ある程度で横浜の山手公園と歴史建物を見ることが出来ました。

 

 横浜は、文明開化による初物が多く高級でエキゾチックな所でした。(作馬記)

 

 

 


第27回史跡めぐり

 ”人形町・浜町界隈を歩く

      令和元年5月15日 参加者9名

 

 

9時30分頃人形町駅を出発、「玄治店跡」と「芝居町跡」の標識を見て、「大観音寺」へ、「西郷隆盛屋敷跡」の標識を見て「小網神社」へ行き参拝した跡、「谷崎潤一郎生誕地」の標識を見てから「甘酒横丁」を歩き「末廣神社」へ、「明治座」(中には入れず)から「浜町公園」へ行き公園隣の「隅田川」を望む(保育園児が散策路を歩いていた)公園内の「清正公寺」(加藤清正を祀っている)を見た後、「水天宮」迄歩く。

     「~跡」は標識のみだが、都内の近代的な街並みの中で、往事を偲ぶことが出来て良かった。

 

      今回、参加人数が「9名」であったのは少々残念だった。